People

2020の頂を目指す「剣」
フェンシング松山選手

スポーツ関連のTV番組や雑誌で活躍する
生島さんがアスリートの道具やカラダの
メンテナンスに迫る。

取材・文/生島淳  撮影/富貴塚 悠太

ロンドン・オリンピックでフェンシングを見たときの感激は忘れられません。
選手たちが「ピスト」と呼ばれる試合場に姿を現すと、そこだけがライトアップされるのです。
光に照らされた決闘。
ロンドン大会では男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した日本。
2年後の東京でもメダル獲得の有望種目にあげられています。
’18年7月に行われた世界選手権、8月のアジア大会でフルーレ団体の主将を務めたのが松山恭助選手。

2018年アジア競技大会のフェンシング男子フルーレ団体で3位を獲得した時のメダル


「東京オリンピックはもちろん、その先のパリ・オリンピックまでは第一線で活躍できればと思っています」
主将を務めるだけあって、実直な人柄が伝わってくる松山選手ですが、フェンサー(選手のことをこう呼びます)にとって大切な道具は「剣」。
剣が勝利を呼ぶこともあれば、時には痛恨の一撃を食らうこともあります。
「基本的に剣は消耗品で、3、4本をローテーションで大事に使っていっても、3ヵ月から4ヵ月で替えます」
面白いのは、同じ剣とはいってもそれぞれに個性があること。
「新品はなかなか言うことを聞いてくれませんね(笑)。剣の角度、曲がり方、グリップに特徴があるので、すべての持ち剣を使いやすいように馴染ませていくのが大切です」
剣を丁寧に扱いながら説明してくれる松山選手の姿を見ていると、職人の風情さえ漂います。
そして道具だけでなく、フェンサー にとって大切なのは、体のメンテナンスです。
「あまり食事にこだわりすぎるとストレスになりかねませんが、試合当日だけは〝お米〟を食べるんです」
剣とお米。それが松山選手の武器なのです。

〈スポーツジャーナリスト生島さんの 取材後記〉

フェンシング 松山恭助選手の取材を終えて、 
スポーツ最前線を取材する生島さんならではの感想を伺ってみました。

私が通っていた宮城県立気仙沼高校は、フェンシングのオリンピック選手をふたり輩出している。 
ひとりは、ロンドン・オリンピックの男子フルーレ団体の銀メダリスト、千田健太選手。 
もうひとりは、千田選手のお父さんの健一さんだ。 
ただ、お父さんは1980年のモスクワ・オリンピックの代表で、日本が参加をボイコットしたため、ひのき舞台を踏むことは出来なかった。 
ただし、健一さんは高校の教員となり、フェンシングの指導に情熱を注いだ。 
高校の練習場は、「道場」と呼ばれており、フェンシングというヨーロッパのスポーツであるにもかかわらず、どこか「武士道」の香りがした。

北京オリンピックでは、TBSラジオのレポーターとして取材したが、銀メダルを獲得した太田雄貴選手(現日本フェンシング協会会長)にインタビューした時のことが忘れられない。
私が「気仙沼出身なんです」と話すと、目をキラリと光らせた。 
太田選手と千田選手は同級生でライバルだから、気仙沼という言葉に反応したのだろう。

太田選手の話は面白かった。

「国際大会で勝つためには、観客を味方につける『味つけ』が必要なんです。
追い上げるだとか、見栄えだとか、観客を味方につければ、審判の判定にも影響を及ぼしますから」

武士道の国から、とてつもない戦略家が生まれていたことに舌を巻いた。 
勝負どころでの神がかったパフォーマンスは、決して偶然ではな い。 
奇跡を起こす準備をしていたのだ。

そのメダリストの系譜に連なろうとしているのが、松山恭助選手だ。

東京・東亜学園高時代にインターハイでは団体、個人フルーレと もに3連覇。
大学2年の時のリオデジャネイロ・オリンピックでは、トレーニングパートナーとして参加するなど、日本フェンシン グ界の期待を背負っている。

ところが、練習相手を務めてきた太田選手が1回戦で負けてしまった。

「太田さんの『味つけ』は天才的です。
リオでは、オリンピックという舞台での勝つ難しさも学ばせてもらいました。
2020年に向けては最高の状態で臨みたいですし、その先のパリ・オリンピックまで第一線で続けたいですね」

話していると、生真面目さが伝わってくる。
練習でも高い緊張感を維持できるタイプだ。

これにクリエイティブな戦い方がより備わってくれば、日本の「顔」になるに違いない。

from c.c.cafe

どうしてアスリートの
メンテ力? 

スポーツに欠かせない水分補給という観点から、読者からご家族のスポーツの話は少なくありません。
だからといって、 スポーツ番組のようなインタビューではなく、浄水器メーカーならではの視点を考えていたら、道具やカラダのメンテナンスにたどり着きました。

この連載はスポーツライターの生島淳さんにお願いしています。
スポーツ関連のTV番組や雑誌で活躍する生島さんだけ に、スポーツファンならご存知の方も多いはず。
そんな生島さんですら、スポーツそのものに焦点を当てない取材は、あまりないとのこと。
中には、生島さんならではの経験談も登場するようなので、その点もお楽しみに。


生島 淳さん

いくしま じゅん

1967年宮城県生まれ、早大卒。五輪は1996年のアトランタ大会から取材。著書に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」、「エディー・ジョーンズとの対話」など。