見えることで失うもの、 見えないことで得られる武器。パラリンピアンへの取材を通じてみえるもの|スポーツジャーナリスト生島淳さんの 取材後記 アスリートのメンテ力〈特別編〉

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残されたものを最大限に生かす
パラリピアンの強さと輝き。

<特別寄稿>
当初はパラリンピアンへの取材に戸惑いもあったと率直に語る生島さんが、取材を通して選手たちの輝きに魅了されていきます。
取材・文/生島淳

持っているものを 最大限に生かすということ

東京2020が決まってから、パラアスリートに話を聞く機会が増えました。

 最初はどうやって接したらいいのか、戸惑う部分もありました。ハンディキャップを負うことになった原因など、触れてはいけないことがあるんじゃないか。
 下手な質問をして、傷つけたりしないだろうか。

 そんな不安を吹き飛ばしてくれたのが、これまでパラリンピックの競泳で合計6個のメダルを獲得している木村敬一選手でした。初めて彼にインタビューしたとき、こんなことを話してくれたのです。

「パラアスリートというのは、自ら進んで障がいをみなさんにお見せして競技をしているんですよ。つまり、ハンディキャップをまったく気にしてないってことなんです。僕が知る限りでは、ポジティブな人間しかいません」

 目から鱗が落ちました。
 前向きな人たちならば、遠慮することはない。アスリートに話を聞く時と同じように準備をして、いつも通りに話を聞けばいいのだなと思いました。

 パラアスリートに話を聞く楽しみは、選手本人が「自分のハンディキャップをどう捉えているか」というところにあります。
 木村選手の場合は、2歳の時に視力を失っており、「見たこと」の記憶がありません。実は、これが障がい者スポーツの世界では大きなハンディキャップになります。木村選手はこう説明してくれました。「たとえば、『バタ足をしてください』と言われても、僕にはなんのことかさっぱり分からないんです。でも、視覚の記憶がある人ならば、体をどう動かせばいいか分かりますよね」

 レベルが上がっている最近の国際舞台の決勝では、木村選手のように視覚記憶のない人が決勝に残ることは困難になっているそうです。
 しかし、彼はそうしたハンディキャップを気にしません。
「記憶がない分、限界もないです(笑)」
 見えないことはハンディには違いないけれども、見えることで失うものもある。
 逆に、見えないことで得られる武器もあるのだと、木村選手は私に教えてくれました。

 障がい者スポーツの始まりは、第二次世界大戦後にまで遡ります。戦闘で障がいを持つことになった傷痍軍人たちの治療に携わり、「パラリンピックの父」と呼ばれるルードウィヒ・グッドマンは、リハビリテーションに励む人たちにこう話したといいます。

「失ったものを数えるより、残されたものを最大限に生かそうじゃないか」
 私はパラアスリートに話を聞くたび、残されたものを十二分に生かそうと、ポジティブに生きている彼らに励まされるのです。
 そして自分が持っているものを最大限に生かさなければ、もったいないと感じるのです。

パラトライアスロンの土田和歌子選手と生島淳さん

パラトライアスロンの土田和歌子選手に取材中のひとコマ。魅力的な笑顔と、努力のアスリート人生に脱帽しました。(撮影 岡本寿)


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どうして生島さん?

この連載はスポーツジャーナリストの生島淳さんにお願いしています。スポーツ関連のTV番組や雑誌で活躍する人気ジャーナリストだけに、スポーツファンならご存知の方も多いはず。
そんな生島さんですら、スポーツそのものに焦点を当てない取材は、あまりないとのこと。
記事の中には、生島さんならではの過去の取材経験談も登場するようなので、その点もお楽しみに。

生島 淳さん

いくしま じゅん

1967年宮城県生まれ、早大卒。五輪は1996年のアトランタ大会から取材。著書に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」、「エディー・ジョーンズとの対話」など。