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「競技と人との出会いで人生が輝く」
パラトライアスロン土田和歌子選手<第1回>

スポーツ関連のT V 番組や雑誌で活躍する
生島さんがアスリートの道具やカラダの
メンテナンスに迫る。

取材・文/生島淳  撮影/岡本寿

 土田和歌子さんがパラスポーツに取り組み始めたのは、17歳の時に交通事故に遭い、車椅子での生活を余儀なくされてからでした。

「最初はリハビリの一環でした。そのうち、スレッジ(そり)に乗って競う『アイススレッジスピードスケート』と出会って競技生活に入りましたが、振り返ってみると、26年くらいスポーツとともに生きていることになりますね」

バイク練習中の土田選手

 競技に取り組んでから数か月で、1994年のリレハンメル・パラリンピックに出場。しかし転倒、悔しさだけが残った。

「競技レベルの高さも実感しました。このままでは終われないという気持ちが強くて、4年後の長野大会を目指すことにしたんです」

 そして長野パラリンピックでは、1000 m と1500 m の2種目で念願の金メダルを獲得。ところが、土田さんにとってはこれが競技者としてのスタートにしか過ぎなかったのです。

「長野大会が終わってから、競技人口が少ないこともあって、アイススレッジはパラリンピックの正式競技から外れることになっていたんです。私はその前からマラソンに取り組んでいたこともあり、自然とマラソンでパラリンピックを目指すようになりました」

土田選手は中学生のお子さんを持つママでもあります。

 2000年のシドニー大会のマラソンで銅メダル。そして2004年のアテネ大会の5 0 0 0 m で金メダルを獲得し、夏、冬のパラリンピックでゴールドメダリストとなったのです。

 その後北京、ロンドン、リオデジャネイロ大会と連続出場は続き、44 歳になった土田さんはいま、スイム(0.75km)、バイク(20km)、マラソン(5km) で行われる「トライアスロン」で東京パラリンピックを目指しています。

「2016 年の11月のニューヨークシティ・マラソンのレース中、咳が止まらなくなったんです。運動性喘息という診断で、体質改善の一環として水泳を始めました」

 何事も新しいことに取り組むことにためらいがない土田さんは、スイムだけでなく、手漕ぎでペダルを回すバイクを加え、トライアスリートへと転向したのです。

「スイムとバイクでは、肩の使い方がまるっきり逆。なので、素早く切り替えるのが大変!」。「へえー」。

「トライアスロンは泳いだ後にバイクを漕ぎ、バイクの後に車椅子レーサーに乗ってマラソンを走るわけですが、次の種目に移行する時に(トランジッションといいます)、素早く運動回路を切り替えるのが本当に難しいです」

 レースに向けては、ハンドバイク、車椅子レーサーのメンテナンスにはスタッフも多く関わります。

「たくさんの人が協力してくれるからこそ、トライアスロンでパラリンピックを目指すことができます。スイム、バイク、マラソンのすべてを満足できるようになるには、体幹バランス、重心、肩の使い方など、まったく違う能力が要求されるので、これから身につけなければいけないことがたくさんありますね」

 前向きな44歳には、伸びしろがいっぱいありそうです。

どうしてアスリートのメンテ力? 

スポーツに欠かせない水分補給という観点から、読者からご家族のスポーツの話は少なくありません。
だからといって、スポーツ番組のようなインタビューではなく、浄水器メーカーならではの視点を考えていたら、道具やカラダのメンテナンスにたどり着きました。

この連載はスポーツジャーナリストの生島淳さんにお願いしています。
スポーツ関連のTV番組や雑誌で活躍する人気ジャーナリストだけに、 スポーツファンならご存知の方も多いはず。
そんな生島さんですら、スポーツそのものに焦点を当てない取材は、あまりないとのこと。 記事の中には、生島さんならではの過去の取材経験談も登場するようなので、その点もお楽しみに。


生島 淳さん

いくしま じゅん

1967年宮城県生まれ、早大卒。五輪は1996年のアトランタ大会から取材。著書に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」、「エディー・ジョーンズとの対話」など。